お燈まつり 熊野新宮の伝統の火祭り

お燈まつりの歴史・祭礼次第

お燈まつり(おとうまつり。お燈祭り、御燈祭、御灯祭、お灯祭とも表記される)は、白装束に荒縄を締めた約2000人の「上り子(のぼりこ)」と呼ばれる男子が御神火を移した松明(たいまつ)を持ち、神倉山の山頂から538段の急峻な石段を駆け下りる勇壮な祭りです。

お燈まつりの風景:山道を松明で駆け下りる上り子

お燈まつりの歴史

お燈まつりの起源は、熊野年代記に「敏達天皇三年(西暦574年)正月二日も神倉山が光を放ち、翌四年の正月六日夜、神倉火祭り始まる」とあるように、記録に残っているだけでも1400年以上も前の飛鳥時代となります。

お燈祭りは熊野神の来臨を再現し、家々に神の火を戴くという神事で、古くは祭礼で分けられた火が届くまで、各家で灯明を挙げるのを禁じていたことから、新年における「火の更新」を意味する祭りとして旧暦の正月6日に行われておりました。

そのころは、男性は下山後直ちに家に向かい、真っ暗な闇の中で帰りを待つ女性に火を届けていました。

女性はその神聖な火を家に灯し、家族に熊野神の来臨を告げ無病息災を祈ると同時に、祝いの膳を準備し家族で喜びを分かち合っていました。

その後、江戸時代に現在の祭礼のような形になり、現在は毎年2月6日に行われ、和歌山県の無形民俗文化財に指定されています。

地元の歌「新宮節」に「お燈まつりは男のまつり 山は火の滝 下り竜」と歌われているように、女人禁制で、祭礼に参加できるのは男子に限られます(駆け下りてくるところを麓の沿道で見るのは女性の方でも可)。

これは、決して女性を軽視しているわけではなく、いにしえの時代からこの熊野に生を受けた祖先がこの特殊な神事を保存するため、 男と女が互いに担うべき役割を分担しながら守り伝えてきたからなのです。

お燈まつりの祭礼次第

「上り子」と呼ばれる参加者は、身を清めるために一週間前から精進潔斎をし続けなければいけない、精進潔斎としては、白飯、豆腐、はんぺん、しらす、かまぼこなど、白いものしか食べてはいけない、白いものだけ身に着ける、女性には触れないというしきたりになっています。

祭りの当日、上り子は白装束に腰から腹にかけて荒縄を巻き、祈願の言葉をしたためた松明を手にして熊野速玉大社、阿須賀神社、妙心寺を巡拝し、神倉神社の山上に向かいます。

お燈まつりの風景:山道を上る上り子

期限の時刻の19時になったら、いったん山門が閉じられ、そのあとに介錯と呼ばれる祭典の執行と警護にあたる役目の人々が御神火を奉じて入ってきて、大松明に点火されたあとにその火を上り子たちは自分の松明に移します。

20時ごろに介錯が山門を開くと、上り子たちが「下り竜」と呼ばれる有様で一斉に神倉神社の石段を駆け下ります。

お燈まつりの風景:山上で松明に点火されている様子

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